韓国の『韓国演劇』という演劇関係の雑誌に、
支援室の活動を紹介しました。
掲載されたのは、昨年の秋ですが、
雑誌が手に入りましたので、ご紹介します。 
韓国の韓日演劇交流協議会という組織があります。
韓国の演劇関係7団体で構成されています。
そこからの依頼で、
今回の原稿を書きました。
韓日演劇交流協議会は、
日韓の演劇交流のための組織で、
日本には、日韓演劇交流センターという組織があり、
こちらも日本国内の7団体で構成されています。
http://www.tckj.org/
震災直後に、
いち早く韓国演劇人たちをまとめて、
支援のメッセージをくださいました。
(上記HPより見ることができます)
日韓の演劇交流のつながりも強く、
当支援室の活動も紹介したいということでした。

下記が本文原稿です。
多少カットされているとのことです。
震災に寄せて、子どもたちのために
3月11日14時46分、僕は東京演劇アンサンブルの拠点であるブレヒトの芝居小屋の事務所にいました。劇場では、明日の公演を控えた劇団の研究生たちが、まもなく始まるゲネプロの準備をしていました。突然の揺れは、非常に大きく、思ったよりも長く続きました。PCなどを抑えていた僕らもあわてて外へ出ました。木が揺れ、壁が揺れ、屋根の瓦が落ちてくる。これまで経験したことのない大きな地震で、そんな大きな揺れが三度断続的に続いたように思います。その後、この日のゲネプロは中止にし、公演か中止かは翌日に結論を延ばすことにしました。
インターネットやテレビでは、震源地が東北の太平洋沿岸であり、予想以上の大規模な災害ということがわかりました。そして、その後の大津波は、みなさまもご承知の通りです。都内の交通も混乱をきたし、電車はすべてストップし、車は大渋滞、国道沿いは徒歩で帰宅する人の群れがあふれました。未曾有の出来事に、自分たちの身を守るすべもわからないまま誰もが不安な夜を過ごしました。テレビでは、ライブ映像が流され続け、地震と津波により、なすすべもなく町が呑み込まれていく姿を目にしました。そして、福島の原発の水蒸気爆発……人々の不安に拍車がかかったことは言うまでもありません。
翌日、深夜のうちに動き出した電車のことを考え、劇団の研究生公演は予定通り行うことにしました。余震は続き、また電力供給の問題もあり、停電が続いている地域もありました。この時、多くの劇団が、勇気ある公演決行を決断し、勇気ある公演中止を決断した。そして、まだ僕たち国民は、福島の原発で本当には何が起こっているのか、知ることができなかった。
時間が経つにつれ、死傷者や行方不明者が数値化され、未曾有の大災害であることを日本国中が理解した。何とかしたい、何とか助けたい、そういう思いは強く、様々なレベルでの支援の動きが始まった。ただ、これまでの阪神大震災や、中越地震などの経験上、むやみにボランティアに行けば良いというものではないということを知っている人たちは、冷静な支援を呼びかけていた。まずは物資を届けること、そしてお金を届けることだという話が飛び交った。これまでと違ったのは、携帯電話がつながりにくくなっている状況で、twitterやSNSなど、インターネットを媒介とした情報交換が有効に働いたことだろう。もちろん最初からスムーズに連携が取れたわけではないが、それでも、これまでとは違った情報交換の手段として、大いに活用されたように思う。まずは被災地では行方不明者の安否確認が優先されていた。
そんな中、被災地に行きたくても行けない人たちは、物資や募金などで援助したいと考えたのだが、この募金も、なかなか被災者地震に届かないという問題も浮き彫りにされた。非常に、歯がゆい思いで何ができるのか、誰もがその問いを繰り返していた。
そして、そんな中、様々な動きが各地で起こっていきます。例えば日本演出者協会を中心とした人たちは、被災地の実演家たちと連携して、芸術家たちの活動を通じて復興支援をしていく動きを作ろうと動き出した。また日本芸能実演家団体協議会は、被災した文化施設の調査に乗り出し、その側面的支援や、仙台フィルハーモニーと連携した被災者支援コンサートなどを企画した。日本新劇製作者協会では、東北の演劇鑑賞会との連絡を密にし、福島原発に近いいわきのように今後会員から会費を集めて続けることが困難な地域の問題を支援することで動いている。こういった動きは、これまでの日本赤十字やユニセフに募金をするような形では、どこにどのようにその募金が届くのかがわかりにくく、また時間がかかるということがあり、自分たちの思いを届けたい人に本当に届くのか、という不安感があったことが拍車をかけたと言えます。そしてもう一つ、最も大切なことは、芸術家として、演劇人として被災地に何ができるのか、ということをそれぞれの団体が、それぞれの立場で真剣に討議をし、顔の見える人たちを支援するという流れができてきたということだろうと思います。
その中で僕が理事をしている日本児童・青少年演劇劇団協同組合では、子どものための芸術家として四つの団体(日本・児童青少年演劇劇団協同組合・NPO法人 日本青少年音楽芸能協会・全国専門人形劇団協議会・全国児童・青少年演劇協議会)で協同して「子どものための舞台芸術創造団体の会」を立ち上げ、被災したすべての子どもたちのために、芸術家を被災地に送ろうという活動を開始しました。下記はその趣旨を示した文章です。
「わたしたちは、すべての子どもたちのために舞台芸術を創造している芸術家の集まりです。演劇、音楽、人形劇、芸能、大道芸……あらゆるジャンルの芸術家たちが、今回の大震災において被災されたすべての人たちへ、心からお見舞いを申し上げます。
そして、特に私たちが心を痛めているのは、多くの子どもたちが、いまなお、心穏やかに、豊かな気持ちで日常を過ごすことができないでいるということです。これまでにない、大きな災害に対し、日本中に支援の波が広がり、復興へと力を注いでいます。そんな中で、避難所での長い生活は、子どもたちへの大きなストレスとなっています。いますぐ、現地に赴いて、子どもたちのために何かしてあげたい、そういう声をたくさん聞きます。しかし、まだまだ、現地はそういう段階にはないようです。
私たちは、この大きな災害に対して、子どもたちに笑顔が戻るよう、子どものための舞台芸術を志す芸術家として、できることをしようと、4団体が集まって、「子どものための舞台芸術創造団体の会」を結成しました。現地の情報を判断しながら、段階を経た支援を考えることにしています。
まずは、チャリティ公演など、現地に派遣する芸術家の派遣費用を募ることにします。次に最少人数の慰問団を結成し、各地を回ることにします。公演というよりは、ワークショップや、読み聞かせ、朗読などになると思います。そして、次に公演班を派遣したいと考えています。
どうか、四団体に所属していない芸術家の方々も、賛同していただける時には、様々な形でご協力していただくことがあると思います。ぜひ、支援室までご連絡ください。
すべての子どもたちに笑顔が戻るまで、私たちは協力して、芸術家にできる支援をしていこうと思います。」
この文章は、3月11日からの2週間後くらいに発信したものです。その後福島原発の問題が加速化し、さらに困難な状況にある子どもたちもいます。マスクに長袖長ズボンという異様な姿で登下校をせざるをえず、一切外で遊びことを禁じられた子どもたち。ますますこの活動の重要性を感じています。すでに、被災地での公演は進められていますが、この夏には、福島の原発の影響下にある子どもたちを連れ出して、「アートビレッジキャンプ」と題して、外で思いっきり遊ぶことと、芸術のシャワーを浴びてもらうことを企画しています。そして9月には、被災地の学校や幼稚園・保育園の公演が始まります。現地からの依頼を受けて、きめ細やかに対応しながら活動を進めていこうと思います。この夏、福島県内では、1,000人を超す子どもたちが転出しています。暑い中、外出時には長そで長ズボンに帽子に眼鏡にマスクという姿になり、室内でしか遊べない子どもたち。彼らにもまた、少しでも日常を取り戻すような笑顔になるような公演を届け続けたいと思っています。
当初考えていたよりも、長期にわたる活動になりそうですが、たくさんの人の力を借りながら、この活動を終える日が来ることを願ってやみません。
末尾になりますが、震災直後に多くの韓国の演劇人のみなさまからいただいた励ましのメッセージには、たいへん感動しました。まさに国境を越えて、同時代を生きる芸術家たちのあたたかい想いが、強く伝わってきました。今度の原発の事故については隣国のみなさんだけでなく、世界中の多くのみなさんを不安にさせ、また、未だ収束していない事態に申し訳ない気持ちでいっぱいです。やらなければならない仕事が沢山ありますが、私たちは演劇人として出来る仕事を進めることで世界に恥じない文化・芸術の国として再生させていきたいと思っています。
2011年8月10日
日韓演劇交流センター事務局
日本児童・青少年演劇劇団協同組合理事
東京演劇アンサンブル制作
太田昭

